「いきる」いき@声を育てる
「息」に対する意識を少しずつ育てているいま、これまで行き合った言葉が不思議なリンクを生み出すことに気がつきます。
料理研究家・作家の辰巳芳子さんと、華道家の川瀬敏郎さんを特集した番組の中で「(花を)いける」という行為をどの漢字を使って表すのかという問答がありました。
川瀬氏が
「活きる」も「生きる」もふくめて「いける」と書く
と答えた流れから、辰巳氏が
「いのち」を漢字で「生命」と書きますと、生物学的な「いのち」になる。
けれども、ひらがなで「いのち」と書くと「いのち」全体の実存としての「いのち」になる。
と語っています。
彼らが「いのち」という言葉に共有しているニュアンスは、私が「息」について考える時に感じるそれと、とてもよく似ています。
「いき」が「いきる」に派生した言葉であるという一説を知った時、言葉・記号としての「息」が急に温度と脈を得て息づきはじめたのを覚えています。
生きる、活きる、いきる。
「いき」という言葉に収斂された、いのちの弾みと息づかい。
この息は、いきているのだろうか?