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自分の声に少しずつ向き合うようになって、急に意識し始めたのが「息」です。

生まれてこのかた心臓がとまらずに動き続けてくれているのと同じように、私の体は休むことなく呼吸を続けている。

生命をつなげる営みとして、加えて意思を伝える道具として、ひと時も怠けることなく続いている「息」。

自分よりもよっぽどの働き者である「息」を、日常的に意識するということは私の場合ほぼありませんでした。

むしろ、楽器を演奏する際に身体をどのように操ればよいか、無駄のない動きはどうすれば生まれるのか、「機能」という一面から自分の身体に向き合うことは多かったと思いますが…。

けれども、声を強めたいとなって、まず身近に「声」を使って仕事をしている人から色々色々と習慣やアイデアを拝借するようになり、それぞれの言葉に一様に通じる要求を発見しました。

それは、「息」そのものへの意識、それを「声」に作り変えるために操る肉体の精度の高さです。

鼻に口、胸から腹、息を身体に取り込み、用いるための器官への意識。

自分の肉体そのものを楽器にするために、総動員される筋肉や骨を知覚すること。

取り込まれた息を、もれなく「声」に変換していくための肉体の準備と、それを叶える精緻な感覚。

口角を上げたり、目を見開くことでさえも、声の明度を変えてしまうということ。

それゆえに声は、無限に色合いを変えることができるということ。

「エエ声」は、もちろん生まれ持った肉体によるところが大きいことは否定できません。

ですが、自分の身体を共鳴体にかえて、骨格さえも味方にして、確かな「声」を届けることを意識するならば、自分の声が持つ可能性は、もしかして自分が思う以上に大きいものかもしれません。

いいなぁ、あの人は「エエ声」に恵まれていて…。

そう人を羨んでおしまいにしてしまう前に、できることはどうやら沢山あるようです。

「声をいかす」ために、まずは「息をいかす」ことを始めてみよう。

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