器を育てる@声が語るイメージ①
突然の告白ですが、随分と小さな頃から、わたしには自分の声に対する根強いコンプレックスがあります。
初めてレコーダーに録音された自分の声を聞いた時、自分自身が知覚していた自我と、その声の持つキャラクターのあまりのギャップに愕然となりました。
「なんてひねくれた、貧相な声だろう…」と思った覚えがあります。
どんなに幼くとも、自我があればまがりなりにも「かっこいい自分」「素敵な自分」の姿を探り、そこに近づいていこうとするものだと思いますが、私の場合は年齢を重ねるごとにその理想と自分の声のイメージが乖離し始め、そのことが私の声に対するコンプレックスを順調に(?)育てたように思います。
音楽家としての訓練が始まってからも、楽器を専門にしていたということも相まって、無意識に自分の声をかばうクセが続いていました。
とはいえ、音楽家という仕事を続けていると、自分の声をかばったり、隠し通すわけにはいかなくなりました。
人前で話す、歌う、語る…。
最もダイレクトな私自身の楽器、スピーカーとして用いることが、ここ数年で格段に増えてきました。
逃げられないとなって周りを見渡してみると、世の中には「エエ声」が溢れている。
骨まで響くような深み、ガラスのように澄んだ清明さ、詩情をつたえる温度の高さ。
あの声もこの声も、なんて魅力的だろう。
けれども、私自身を器にした声は私にしか作れない。
ならば、その器を育ててみよう。
自分自身の声に引け目を感じることなく、自分の軸足を深く根ざした声を作りたい。
ここ最近、そんなことを考えています。