それなそれな!
自分とは畑違いのコミュニティに少しでも身を置いてみると、自分にいかにこれまで、相手側の自分への共感を当たり前に求め、それに頼ってコミュニケーションを続けていたかに気づく。
「これってあれですよね?」
「それそれ、それですわ」
「あれがあれしてそうなったんですね?」
「それそれ、それですわ」
「あれ」って何よ、「それ」って何のこと?
そうしたことを一つ一つ明らかにしなくても、通じ合えてしまう世界の中でずっと過ごしていれば、物事を他者に対して分かりやすく表す「言葉」を、あえて育てる必要もない。
でも、そこから一歩外に出て気づくのは、自分の常識なんてこの世の非常識だ、ということ。
「分かりあう」以前に、当たり前に肌感覚で「分かってしまう」、ツーカーで「気づいてしまう」。
そうした細かい無数の共感に甘えて、世の中に揉まれ磨かれないまま取りこぼしてしまっている言葉が、私の世界のあちこちにきっと転がっているだろう。
自分の言葉で通じていきたい、この世界のずっと遠くまで。
「わかるよ」「そうだよね」という共感を、全くの畑違いの人とも交わし合いたい。
身がよじれるほどちんぷんかんぷんな、これまでとは違う場所へ、自分を揉まれに投じてみる。
ヘロヘロになっても、それを繰り返す勇気としぶとさを持っていたい。