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ここ3年間、ボイストレーニングを続けています。

3年の内に、声を出す・歌う・語る、そんなことが少しずつ自分にとって「心地よい」→「楽しい」という快感に結びつき始めました。

「声を出す」ということに長い時間感じていた羞恥が取り払われ、広い空間に声を「ぶっ放す」心地よさと、「伝える」ためのツールとしての声が持つユニークな力強さを、「楽しめる」「おもしろがる」下地が整って来たような感覚です。


先日、ボイストレーニングに通うスタジオでのレッスンの時、発声練習をトレーナーについて続けていると、思いもしない低い声が出た。
自分には無縁に思えていた、アルトとテナーの間にある、太くて芯があって、奥行きの広い響きが、ほんの一瞬だけ出てきた。

身体は細身で小柄、デフォルトの声も細めで、発音はこもりがち。
声域も中音域から高音域、そう広くはない、ありきたりの範囲に収まる。
自分の身体性や内面をあからさまに写しとっているような声が、自分の声の本来だ。
そう思っていたのに。


「口からオヤジが出ていますよ」


というトレーナーの先生からのコメントに、ひとしきり大ウケした後、うっすらと考えていました。



骨格や声帯、喉仏の位置や口の形、そうしたパーツのひとつ一つは、私たち一人ひとりに与えられた固有の肉体であり、それらを器にして出てくる声も、人それぞれに間違いなく固有のもの。

そして自分が「こう」と思い込んでいるその器の形からは、もしかしたら思っても見ないものが飛び出てくることがあるのかもしれない。
薄め小柄な女性である私の「口からオヤジ」が出てきたみたいに。


オリジナル、固有はそれ自体がおもしろい。
ギャップがあるのは、もっとおもしろい。


眠れるオヤジを呼びおこせ。

あーーーーーーーーーー。



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