キャラクターの変容@「声」と「言葉」のモード
「歌」に親しく自分の声を通わせ始めて、例えば海外のミュージカル作品にひかれ、その歌詞を追いかけ、なんとかタイミングよく発音を当てはめられるように歌うと言うことに最近ハマっています。
留学中にも感じていたことですが、扱う言語が変わると自分の内側のモードまで切り替わる。
例えば「英語」を例にとってみると、「英語」と言うモードでしか語れない言葉や思いがあります。
私自身の極端な体感だと、「英語」を扱うときは(それがどんなに不自由であったとしても)自分のキャラクターまで変わってしまうように感じられることもたくさんありました。

その意味で、英語は「話す」と言うよりも「演じる」感覚に近い。
母国語と違う発音や発声、響き、語感、それが全てが違うために、自分のモードが全く違う言語体系の中に取り込まれるという経験は、骨格によって言語がいうどこかで聞いた説を納得させるものでした。
まだ始めたばかりですが、ボーカルトレーニングの中でも、一般的に日本人の声が持つ発音の特徴、声域について説明が入ることがありました。
それはすなわち、日本人の声がその骨格によって生み出されてきたということ、加えて長い文化歴史の中で必要とされてきた話し方や歌い方、言葉の質までも強く反映している表れだと思えます。
声は身体に直結する。
そして身体は文化に直結する。
声と言う客体を通して、いろいろなリンクが生まれてくる事に快感を感じています。