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ブログという形でアウトプットの機会を自分に与え続けてみると、言い方はいびつですが「“アホほど”努力している人」というのは世の中にたくさんいる、ということに気がつきます。
世の中に発信されている情報をいくつもたどってみると、1日も怠ることなく、結構なエネルギーとメッセージ力でもって発信を続ける人をあまた見つけて、その底知れぬ熱量に圧倒されるような気持ちになります。

その内容が何であれ、「誰かに今すぐ伝えたい、伝えなきゃ」という強力な動機と、猛烈なスピードで綴られている言葉たち。

そこまでする必要ある?
そんなに「アホほど」言い募ったとして、誰が聞いてくれるの?

昔、というよりつい最近まで、どこか冷笑的な自分が頭をもたげるのを、辟易しつつも止めることができませんでした。
けれども今は、そのエネルギーの核に飛び込んで、その力の根源を知りたい、知らなければと思うのです。

そしてふと思い出したのが学生時代の記憶。
ヴァイオリンのレッスンの最中に恩師から、

「伝えたいんやっ‼︎」と思うことの1つや2つ、あるやろう。
それを引っ張り出して弾いてみ。

と言われ、ぽかんとした事がありました。

「伝えたい」って何だっけ?
そもそも「伝える」って、何を?
っていうかそれは、誰に対して?

一瞬で脳内の「会議は踊る、されど進まず」が実現してしまい、オーバーヒートを起こした私に、今度は先生がぽかんとされていた、そんな記憶。
つくづく、「打てば響く」生徒からは程遠かった…。

ともあれ。

考えてみればその当時の私は、自分が「動かされる」ことはあっても、誰かを「動かそう」としたことはほとんどありませんでした。
漫然と生活していたつもりはなかったけれども、人に対しても世の中に対しても、葛藤や疑問を持つことも少なかった当時、誰かに何かを伝える必要性に気づいていなかったのです。
何よりも、他者が自分という人間とはまるで違うのだという前提が、自分と他者の境目が、よく飲み込めていませんでした。

そこから時間が経って、「人も世界も、伝えなきゃ分からない、分かり合えないことだらけじゃないか」と日毎に痛感する今、「伝える」ことの重みがじぶんの内側で募るように感じます。

「私の言葉を聞いて、声を聞いて、理解してほしい」と言う希求。
他者と自分との間にある壁や違いをふまえたうえで、相手の心に分け入っていく勇気をもつこと。
そしてその心にふれて、訴えかけ、それを動かすこと。
本気で。
たとえ耳を傾けてもらえなくても、本気で。

「伝える」とは、自分にも他者にも「“アホほど”本気でいる」ということだ、と思うのです。


「伝えたいんやっ‼︎」

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