手なり道なり@「楽器」のむこう
音楽ワークショップのために、様々な種類の楽器を集め回るというのが、ここ数年来の私の趣味(!)もとい、ミッションです。
有史以来、どれほどの数の楽器が発明され、淘汰されてきたのでしょうか。
大きなものも小さなものも、メジャーなものも、一見楽器にさえ見えないものも、それぞれに出会って触れてみることでつくづく思うのは、楽器もまた人の手が生み出した「道具」として、ある種極限まで追求された形をとるものなのだ、ということです。

「奏でる」という快感と用を叶えるために、人類が手ずから手になじむように発明してきた「道具」としての楽器の魅力。
そこには美術品として、工芸品として、実用品として、人間の生活の中で要求される「用」を叶えるために、知恵と手わざを結集させた粋があるように思います。

さらに、その向こうに確かに感じられる、ひとの「手」の存在。
楽器を作り出した人、楽器を奏でた人。
昔の誰か、現代の誰か、その楽器に触れただろう多くの「手」。
楽器は数々の「手」なりに生み出され、みがかれ、守られている。
その歴史が、楽器の一つ一つに独特の温度を与えているのように感じられるのです。
