飾りっ気なしの@ブログ執筆
ブログ書きにiPhone の口述筆記機能を使い始めました。

これまではキーボードを所構わず持ち運び、時間を見つけたら入力、という作業の仕方が多かったのですが、昨日から音声の自動入力機能を使いながらの文章作りを始めるようになりました。
実はタイピングの3分の1がデリート・キーの連打になってしまう私からすればこれは大助かり。(打ち間違い多すぎ…)
音声入力のお世話になって初めてわかったことですが、自分の声の自動入力となれば、私の「語り」そのものが文章になって見えてくるのです。
必然的に「誰かに語りかける」文章になる。
これまでの私は、紙を前にしてもキーボードを前にしても、どちらかと言うと修辞的というか、長々と書き連ねた文章を書いてしまう傾向がありました。
「自分の意図を理解してほしい」と望めば望むほど言葉の数が増え、延々と文章を連ねてしまうのです。
ところが、自分の声を使って「語る」言葉の足跡を見てみれば、飾ることから解放された言葉の連なりがそこに見えるような気がします。
「語る」ときには、なりふり構っていられないから。
2007年のイギリス映画「償い」の中でこのようなセリフがありました。
Just the truth. No rhymes, no embellishments, no adjectives.
ただ真実だけを。韻も、修飾も、形容詞もいらない。
沢山の言葉は、時に言葉の本質を目くらましにかけてしまうのかもしれません。