年齢という生理@リトミックの学び③
リトミックの初級で学びの対象になるのは3歳児。
自分自身が3歳児であった時、大昔に通り過ぎた時間を、私は体感としてほとんど覚えていません。
わずかに残っているのは断片的な光景と声、当時の記憶は写真を見てようやくおぼろげになぞるもの。
それでも記憶の枠の外で、たしかに自分の身体と心が、周りの世界に触れ、それを吸収して、大変なスピードで成長していただろう時期。
あの時の自分に何が起こっていたのか?
子どもの生理について学ぶことは、自分自身の記憶に埋もれた魔法のような時間を掘り下げることであり、同時に、これから自分が出会う子ども達との関わり方を、少しでもやわらかく豊かなものにするために必要なことです。
リトミックの学びと実践に関わるようになると、年齢・月齢が子どもたちの生理と語彙、情動に直接、深く結びついていることを痛感します。
二本足で立つのと立たないのとでは、きっと見えている世界も違う。
泣き声が意思を持った声になる時、声がことばになる時、さらにことばを獲得していく時、それぞれのステージで耳に響いてくる音はきっと違う。
目まぐるしく移り変わるステージを一つ一つ越えながら、知らない間に培われる身体と心。
どのステージも、大切ななにかを獲得している時間。
大人になった今の感覚でその当時を追体験したならば、毎日がどんなに冒険に満ちていただろう、とふと思います。
そしてその一つ一つのステージごとに、できることできないこと、興味を引くものそうでないもの、吸収できるものそうでないものが厳然と分けられていることを、自分は忘れてはいけないと思うのです