驚きを積み上げる。@「発見」の重なりが生むもの
「音楽ワークショップ」の中で「発見」がどのような役割をもつのか。
ワークショップのプロセスは、プログラムの段取りは別にして、ファシリテーターあるいはリーダーが、全体を通してコントロールしようとした途端にむずかしく&つまらなくなる、と私は感じています。
プログラムのスタートをどう切るか、グループ分けや楽器の配分、休憩時間とそのタイミング、「ワークショップ」を構成する時間の一つ一つを、たとえ最初から決めていたとしてもその通りに動いた試しがない、というのが私の実感です。
ただ一つだけ決められるとしたら、このワークショップがいつ始まっていつ終わるのか、その時間の枠組みだけ。
どうしてこうした流動的なプロセスに行き着いてしまうのかを考えてみると、音楽ワークショップ自体が「偶発性」に頼った営みであるから、と言えると思います。
指揮者や楽譜などの拠りどころをもたない音楽ワークショップの場合、音楽は「まず、音をだしてみる」という行為の連続の上に立ち上ってきます。
参加者の背景、年齢、スキルがバラバラな場合は特に、たとえ同じ楽器を手にしたとしても出てくる音は音色も、タッチも、響きも変わる。
リーダー1人が「それは違う、こうしてくれ」と叫んだところで、コントロールできるものでは決してありません。
誰しも、たとえ自分の意志や知識を極限まで働かせたとしても、偶然に起こってしまうことまではコントロールできません。
水脈の予想はできたとして、突然湧き出す泉をコントロールする術がないのと同じ。
その意味で、「音」こそが偶発性の最たるものなのです。
そしてその偶発性こそが、音楽ワークショップを驚きと発見で満たしてくれるのだと思っています。

驚きは、予想と想像を超えたところに現れるからこそ驚きになる。
驚きを繰り返す分だけ、「発見」が重なる。
「え、次にそうなるの?」
「その取り合わせでこうなるの?本当に?」
「発見」は、かならずしも仕掛けを必要としない。
驚きが生まれる場所と、それにワクワクできる心が「発見」を導いてくれる。
そしてその「発見」の先で、時にヘンテコな、時に思いがけず美しい、時に笑ってしまいたくなるような音楽が生まれる、というのが私の実感です。
そんなことを考えていたら、「セレンディピティ Serendipity 」という言葉に行き合いました。
偶然が生み出す発見、奇跡といった意味を持つ言葉だそうですが、道端に転がっているような事象の全てが、何かしらのマジックをおこしてくれるのではないか、とワクワクさせてくれます。
コントロールを手放した先で偶然に生まれる何かを、その場にいる全員が「発見」し、目撃する。
良いか悪いか、正しいかそうでないかを問うのではなく、一人ひとりが作り出す音のかさなりを、一人ひとりが信じる「美しさ」でもって見つめ、奏でてみる。
一瞬でかき消えてしまう音の行方を、眺めてみる。
一緒に。
「発見」は、その時その人その場所にふさわしい音楽が生まれ出るための動力だ、と思っています。
探しもの たずな離した その先に