切り口、切り分け、キリはない@対象について
これまでのワークショップ・トライアルを振り返りつつ、ワークショップの「対象」について考えを煮詰め続けています。
私の音楽ワークショップは「音楽づくり」がメインなので、その都度「音楽」が出来上がります。
けれども、「音楽ワークショップ」は目に見えて参加者のなにかを変えるものではありません。
成果物が目に見えた状態で表れにくいものである以上、プログラムのクオリティがどのように保たれるべきなのか、という課題があります。
音楽ワークショップにどんな期待と希望を持つのか、それは参加者一人ひとり違うものでしょう。
楽器にさわりたい。
簡単な歌を覚えて帰りたい。
できれば大人数で気分良く声を出したい。
子どもとリラックスして遊べる時間がほしい。
エトセトラ。

ここで大きな要素になるのが「対象」。
誰がこのワークショップに足を運んでくれるのか。
これまでのワークショップに参加してくださった方は、年齢も背景も動機も、種々さまざまでした。
かれらの姿を思い浮かべながら、いろんな対象のケースを考えてみる。
友達と連れ立ってきているとしたら?
はじめてのお子さんとのお出かけだったら?
歌うことが恥ずかしくて、できれば声は出したくないと考えていたら?
やっぱりエトセトラ。
それぞれの対象にとって心地よく、同時に良質な刺激を得て、何かひとつ目には見えないお土産を持ち帰れる、そんな時間と空間が作れないだろうか。
もともと私は、対象について細かく考えていたのではなく、「みんないっしょ」が好き。
「みんないっしょ」即ちごちゃまぜの状態というのは、カオスゆえに一人ひとり際立つことになる。
ごちゃまぜの中では、特段に個性うんぬんを考えなくとも、そこにその人がただいるだけで、その人の個性を語ってくれると考えているからです。
「一つの空間の中で、ごちゃまぜながら大人も子どもも、のびのびと言いたいことが言えて試したいことが試せる場所があれば素敵だな…。」
それがこの音楽ワークショップを作る一つの大きな動機でした。
実際にやってみると、また新しい思考が始まる。
誰のために?なんのために?
そのために最適な方法とセッティングは?
しばらくの間、知恵熱大歓迎で悩んでいます。
エトセトラ 一は二を呼ぶ エトセトラ