関係の「こなれ」について@コミュニティを育てる|ワークショップ 場づくり 音楽
2019年度の新しい取り組みとして自主企画の音楽ワークショップをスタートさせたことは、私にとって色々と大きな変化のきっかけとなっています。
そしてそれとは別に、4月から毎週、1歳から3歳までの子どもたちの教育現場に足を運び、音楽プログラム(こちらはリトミック)を行う機会が増えました。
その新しい関わり合いの中で、1週間ごとに変化成長していく彼らの姿を、わずかな時間であっても追うことができるというのはとても幸運だと感じています。

4月には、私の顔を見るだけで泣き出してしまったり(彼らの目には私は完全なアウトサイダーにうつっていたことでしょう)、先生のうしろから出てこれなかったり、お返事をするにも時間がかかってしまったり。
当時のそうした様子がまるで嘘だったかのように、今ではプログラムが終わるごとにハイタッチを交わしてきたり、私の着ているTシャツの柄を毎回覚えて次の週に報告してくれたり(!)する彼らの様子を見るにつけ、お互いの関係性が少しずつ少しずつ「こなれ」てきているのだ、と実感します。
連続した関係性の中で、一人ひとりの個性はもちろんのこと、性格、好み、声の高さ、特性、ポテンシャル、嗜好、そういったものへの理解と納得が、毎回のわずかな時間を重ねるだけで深まっていく。
薄い紙を一枚一枚丁寧に重ねた先で、ある程度の時間が経ってふとその積み上がりの高さと厚みに気づくような、そんな実感が関係性構築の醍醐味だと考えています。
コミュニティがどのようにして生まれ、育つのかを改めて考えてみると、一期一会で終わると言う一過性の関係性の面白さもさることながら(そこでもコミュニティは十分に生まれ得るし、深まり得ると私は考えていますが)、その「こなれ」が実現するためにはある程度の時間数も必要だし、時間をかけて作り設定され直されるそのコミュニティの座標もありそうです。
連続して顔を合わせる、言葉をかわす機会を持つことによって、互いに対する自分自身の感度(共感も反発もふくめ)が高められ、さらにその関係性をアップデートして、また違うレベルでのコミュニケーションが実現できる。
私の音楽ワークショップ・プログラムの中でも、イベントとしての意味合いもちろんのこと、そこに集う人たち一人ひとりがお互いの関係性を温めあい、時に育て、豊かにできるきっかけに寄与できれば、なおのこと楽しいなと考えています。