「感覚」「感性」、どこに向かう@リトミック研修
月に1度のリトミック研修会に行ってきました。
私がいま勉強しているのはリトミック資格の中級、2歳児対象プログラムのための理論と実践です。
会場は兵庫県姫路市のハーベスト医療福祉専門学校。(そういえば姫路城を拝むのを忘れてた!)

今日はリトミックの研修会のみならず、英検の試験会場も兼ねていたようで、たくさんの中高生の姿も見えました。
リトミックの研修は2部構成に分けられ、前半では実際のプログラム展開のためのノウハウやテクニックの学習が主体。
テキストを使いながら理論体系を学び、そのコンテンツをどのような流れで組み込み、一つのプログラムとして成立するのかということを、実践やシミュレーションも込みで学びます。
後半は、リトミックのプログラムのノウハウと言うよりは、リトミックに特化したステップや身体の使い方、ニュアンスの感じ方や表し方など、広い意味でとらえると「リトミックする」心と体を育てるための時間、と私は捉えています。
実際に無数の実践をこなし、数多くの指導者を育ててこられた先生方が、その経験の中で培ってこられた知恵、学び、哲学、テクニック、そういったものが山のように目の前に差し出される時間。
その中でいつも、その時々の自分のアンテナに引っかかるテーマに出会えるのが毎回の楽しみ…。
今回はこれ。
「感覚」と「感性」について。
これら2つの違いを、厳密に言いあらわせる人は、一体どれほどいるのでしょうか。
実のところ私も、これら2つの違いについて語れるほどはっきりとした定義を育ててきたことはなく、漠然とした、ふわふわと実体のない意味合いを、無理矢理自分の単語帳の中に留めおいてきました。
私にとって「感覚」とはとても原始的。
乱暴な言い方かもしれませんが、生理現象にも似た脳と心の脊髄反射。
その一方で「感性」は、数多くの「感覚」を受け止めつつ人間が心の中で育てる心のひだ、物事のあわいを読み取る性質のことだと捉えていました。
今日、私がふと目を開かれたのは、この捉え方が正しいか正しくないかを知ったことによるのではなく、「感覚」と「感性」それぞれが放つ矢印について改めて考え直す機会を得たからでした。
続きます。