課題その2:「アーティスト」とは誰だ?@第4回目ミーティング②
課題の二つ目は「アーティスト」という存在についての私の感覚。
現行ページ(テスト版)のプロフィールの中で、私は今こう問いかけています。
「アーティスト」と聞くと、例えばどんな人を思い浮かべるでしょうか。
ドームツアーを満員にするトップシンガー。
オリコンチャートの上位をひた走るバンド。
テレビ越しに躍動するミュージシャン達の姿でしょうか?音楽の力でもって世界を確かに変えている彼らの姿はとても眩しく、力強くて、かつ遠いもの。
けれども、音楽を「共につくる」プロセスの中で、私たち自身が「アーティスト」として発信することはできないでしょうか?
ミーティングの中で、この描写のいびつさを、桾さんは射抜いてきました。
「ここでいう“アーティスト”って、90年代のアーティストのことだよね?」
図星でした。
ここでふれている“アーティスト”とは、1990年代のアーティスト、すなわちテレビ嫌いの小学生だった私でもはっきりと認識できていたほどのパワーを放ち、テレビやラジオといったメディアを通して世の中を席巻していた「アーティスト」の姿です。
けれども、そこから20年が経ち、1つの時代の変わり目に立つ今、「アーティスト」の形と意味は大きく更新され、生まれ変わり続けている。
私自身が「ワークショップ・アーティスト」という肩書きを自分に貼り付けていることからも明らかなように(もともと「音楽ワークショップ・クリエイター」という肩書きだったものを、昨年更新したもの)、「アーティスト」という言葉こそ私のアイデンティティの一部、あるいはそのものでもあるのです。
けれども、広く世の中に「アーティスト」の意味と形を問い、そこに限りなく多様な人々を招き入れたいと望むには、私自身があまりに古臭いというか、リアルタイムでの「アーティスト」から凄まじくかけ離れた認識をアップデートできずにいる、という現状を突きつけられた形です。
テクノロジーが進歩し、情報の伝わり方、加工の仕方も、音楽家に限らずなにかを「発信する」ということのハードルはグンと下がり、メディアの形も多様化した。
それに呼応して、「アーティスト」もその形を変えている。
さぁ大変だ。
私の中で「アーティスト」という存在の定義が更新されない限り、多分どんなに頭を悩ませてキャッチコピーを作ったとしても、90年代ではなく、令和に足をかけて今を生きている人の多くには響いていかないでしょう。
「アーティスト」とは、誰だ?