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3月中の完成を目標に作業を進めてきたホームページ制作。

昨日、急遽桾さんともったミーティングの機会で、改めて大きな課題が見つかったため、発信を延期することになりました。(がーん)

その課題とは「キャッチコピー」。

先日の記事で、ようやく自分にとって納得のいくキャッチコピーがみつかったとお伝えしましたが、桾さんの目と思考を借りて改めてこの言葉を捉え直してみると、私が自分のスタンスから発信する言葉としては微妙な違和感が出てしまうことがわかりました。

課題を難しくしているのは、このキャッチコピーの「てにをは」。

「すべての人を、アーティストに」のこの部分。

すべての人を、アーティストに。

このコピーは、果たして人にどう響くのでしょうか。

そもそも、このコピーをひねり出てきたのには、以下のような考えがベースにあります。

私は、どんな人にの身体にも「音楽」が息づいている、とかんがえています。

バックグラウンドや年齢性別、音楽経験ある無しにかかわらず、生まれながらにしてビートを打つ一人ひとりの身体の中に、音楽が詰まっていないはずはない。

一人ひとりのうちにある音楽が、各々の感性を育んだ美しさや喜び、興奮を強く反映したものであるとしたなら、それらを認め合い共有される場を作り出せたならばどんなに良いだろう。

けれども、現行のキャッチコピーの中には、私が信じたいもの、人一人ひとりが宿した美しさへの共感と希求がどうにも映り込んでいないと感じるのです。

ここでは、私がすべての人を、アーティストに作り変えますよ、というニュアンスを生んでしまいます。

私の存在は触媒であって、神じゃない。

私の仕事は、一人ひとりの内側にある音が、他者のそれと交歓できる音楽という器を用意すること。

全能感をふりかざすのではなく、限りなく平らな地平の上で、音楽を分け合う存在でいたい。

「すべての人を、アーティストに」

この言葉は、強い呼びかけにはなるかもしれないけれど、嫌味な権威(私が最も嫌うところの)を帯びて私という人間を発信してしまう危険性があるのです。

日本語では「てにをは」によってニュアンスが大きく変わると言いますが、今の私にとってまさにこの「てにをは」こそが難解で危険な壁。

「てにをは」の崖っぷちの上で、必死に言葉を探しています。

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