ビート板の上@「考える」と「感じる」②(完結)
即興が少しずつこなれ始めたとき、呼吸を続けるように、「考える」と「感じる」が循環し始めました。
どちらか一方を締め出してしまうのではなく、軸足を移動しながら柔らかくその二つの境目を揺れ動いているような感覚です。
即興は私が考えるに、物事に能動的な意味を与える営みです。
自分だけの力ではコントロールしきれない目の前の現象を、「あぁ、やらかしてしまった…」とエラーにカウントするのか、おもしろがって生かすのか。
ここでいう「生かす」とは、単に「何がどうなっても、何でも良い」という放任とは違って、そのときその場に全身で感応しながら、次の自分の行為を選び、繰り出していくということです。
予想していなかったフレーズに別なメロディを重ねるとき、自分を包む和音の色合いが突然に色を変えたとき。
波のよめない海の上で、自分の小さな舟を進めようとするように、何をどう操れば良いのかをその時に全力で探している。
そうしていつのまにか、「考える」と「感じる」の境目が溶けていることに気づくのです。
その昔プールでビート板の上に足をかけ、水の上に立とうと四苦八苦していたことがあります。
あがいていた中で、水上のビード版と自分の身体がほんの一瞬だけ綺麗なバランスをとり、水面の上からの景色を見渡せました。
その瞬間につかまえた景色がもたらした嬉しさと喜び。
即興で「考える」と「感じる」の境目が溶け合う瞬間は、そんな一瞬の興奮を思い起こさせてくれます。
即興のとき、今も私は水面の上に浮かべたビート板の上から見渡せる景色を探すような心持ちで、音の中に漂っているような感覚を持ち続けています