とどのつまりは。@「端的」の距離②
「デザイン」についてじっくりと考え始めたのは、自分が「作り手」の位置に入ったからだと思います。
「音楽ワークショップ」を続けてみると、その営みが「時間」をデザインし、「空間」をデザインし、「音楽」をデザインすることそのものだとわかるからです。
世の中に溢れる様々な「デザイン」を味わい鑑賞する、という位置から「デザイン」をとらえるのではなく、自分が作り手に回ったとき「デザイン」にたいする自分のレンズの強度が突然に高まりました。
ワークショップの会場で人数に対して椅子をどう並べるか。
広々とした空間が心地よいのではないか、それを確保するにはどんなレイアウトが良いか?
チラシを作る時の言葉の吟味、情報量のコントロール。
諸々、これまで人に任せていたこと、あるいは注力してこなかったことをいざ実際にやってみると、これまでと違う方向に頭が回り始めます。
いろんなものを作ってみる。デザインしてみる。
そして「もっと素敵にできないかな…」と頭をひねる、その繰り返し。
「とどのつまりは」これが綺麗だと思う。
「とどのつまりは」これを伝えたい。
「とどのつまりは」こういった空間が心地よい。
「とどのつまりは」これが「素敵」だと思う。
「端的」に自分が美しい、心地よい、おもしろいと思うものを実現させること。
それを叶えるための力が「デザイン」。
「デザイン」の力が高ければ高いほど、その「端的」の距離を縮めてくれるのだと思います。
そんなわけで。
「とどのつまりは」私はデザインの力が欲しい!