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 ワークショップ時のフィードバックを整理していると、  参加者一人ひとりがそれぞれに違った生理と感覚でその場に集っていることが感じられます。

ワークショップのプロセスでは、そこにいる一人ひとりが「個人としての自分」と「集団の中の自分」を行き来するもの、と私は考えているのですが、年齢、立場、経験、背景が違えばその「自分」の表され方もそれぞれに大きく変わってきます。

 

ひろい間口でさまざまな人を受け入れてプログラムを行えば、参加者が何を「楽しい」「おもしろい」と受けとるのか、その幅も大変な広がりを生む。

その広がりは確かに多様性に満ちていておもしろいけど、ワークショップという一つの「場」の方向性が薄まりはしないか?

それが、トライアルを続けてきて新しく生まれてきた疑問です。

 

「音楽ワークショップ」自体はまだまだ認知度も低く、大抵の人にとっては「何か新しいもの」であることは間違いありません。

真新しいもの、見たことのないものに出会えば、誰しも楽しいし嬉しくなる。

 

でも大切なのは、その先。

「楽しい」「おもしろい」を超えて、「もう一度ここに来たい」と感じられる時間を作れるのかどうか?

この場でこそ得られるもの、独自性を、どこまで追求して打ち立てられるのか。

 

それが今の私の課題であり、考え所なのだと思っています。

そのために大事なヒントをくれるのが、これまでの実践での手ごたえ、参加者一人ひとりのフィードバック、写真や動画などの記録媒体、自分がアイデアを書き留めたメモ帳であったりするのです。

今、参加してくださった方に追跡調査をしていますが、そこから見えてくるのは、それぞれに「音楽ワークショップとはなんぞや?」という漠とした認識を与える場所から、それぞれに何かを得て、持ち帰ろうとしているということです。

持ち帰りたいものこそ、その人が求めているもの。

それを丁寧に読みこなして、「音楽ワークショップ」というフワッとしたプログラムに明確な意図とメリットを与えられてこそこの発信の意義も強まると思いつつ、試行錯誤ならぬ思考錯誤を続けています。

ところで切り口うんぬんかんぬんと考えていたら、ダイヤモンドのカット方法についてふと連想してしまい、googleぐるぐる巡回を始めると止まりません。

 

美しい…。

 

切り口は 春 風さそう ガラス窓

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