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「発見」には、「発見」が生まれやすい場所がある、と私は考えています。「発見」は、「見た」と「見ていない」、「知る」と「知らない」の境目。

その境目にたくさん行き会える場所が、「発見」のありかだと思います。

人それぞれ、そうして自分を作り変えてくれるような刺激的で面白い場所があるのでしょうが、私にとってのそうしたスポットが、10年前に留学していたロンドンです。

この街に暮らし始めた時、私はそれまで自分の生きていた世界が、いかに暗黙の不文律と共通の価値観によって厳しく守られ、成立していたのかを実感しました。

普通はこうするでしょ?

常識で考えたら、こうだよね?

言葉にせずとも、そうした問いには無言で頷きが返ってくる、安心な世界。

ところが、当然といえば当然ながら、ロンドンはそうした「普通」や「常識」が、ほとんど意味をなさない場所でした。

こちらの常識はあちらの非常識。

私の普通は向こうのアンビリーバブル。

見たことのないもの。

食べたことのないもの。

聞いたことのないもの。

接したことのないもの。

留学当初、私は酷く混乱して、最初の3ヶ月ほど、学校以外にはほとんど出歩かず、自分の内側へ内側へ内側へと、もぐりこむような生活が続きました。

未知を受け入れ楽しむには自分がまだまだ幼すぎましたし、英語の語彙の貧しさも手伝って言葉がつんのめり、心がなかなか外に向かっていけませんでした。

そこからしばらく経って、ひりつきながらも新しい環境に慣れ始めた皮膚、ぎこちない言葉を、ようやく備えて街を歩き始めた頃。

街の様子が、全く違って見えました。

昼間から始まるパブの喧騒と、のべつ幕なしに街のどこかで続く突貫工事、車道をゆったりと進む警察馬。

人が、文化が、民族が、階層が、葛藤を抱えつつ共存を守るためにうごめき続け、変化を続けている街。

その街が、こんなメッセージを発しているように思えました。

「普通」も「常識」も、たったひとつじゃない。

自分のしらない、無数の「普通」や「常識」に驚き恐れるのではなく、まずはそれを 味わってみなよ。

その方がきっと楽しいし、面白い。

無数の「発見」の境目でビクつく私を、ポンと励ましてくれているように思えたのでした。

小さな勇気を出してその境目を行ったり来たりし始めたのは、その頃だったと思います。

長くなりました、続きます。

境目を 行きつ戻りつ 鼓動打つ

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