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「多様性」が音楽ワークショップとどう結びつくのか。

「音楽づくりMusic Making」というと、「作曲 Compositionとどう違うの?」と聞かれることもあるのですが、これはまた別記事に譲るとして、今ここで重要になってくるのは「つくる」というプロセス

私が思うに、音楽ワークショップにおいて「多様性」がその意味を最も強めるのは、そのプロセスの中。

「つくる」という瞬間です。

「つくる」という行為が、「多様性」いう言葉でひとくくりにされるあらゆるモノ・コトを、広く受け入れる間口となるのです。

一口に音楽を「つくる」といっても、それは具体的にどういうことなのでしょうか。

私の体感では、音楽づくりは空白の五線紙を前にして取り組むという方法をとるのではなく、自分や他者の中にある「音」、あるいは偶発的に生まれる「音」を見つけ、それらを組み合わせて音楽が立ち現れるのを待つ、といった感覚です。

何気ないつぶやき。

時に無遠慮に投げ出される音。

うっかり指が鍵盤にふれて生まれた音。

偶然は私たちの意図を超えたものだけれども、実はその偶然そのものに、意味を与えられる存在が人だと私は考えています。

同時に「音」に意味を与えるという行為は、「聞く」ことによって導かれるのだ、と。

耳をかたむける、すなわち「聞く」という行為の連続の中に、「音」を味わい、見つめ、それにふれてみる、「音楽」という営みの始まりがあるのだと思います。

そして、「聞く」という行為の中に、「多様性」を叶える大きなヒントがあると思えてなりません。

人間はうまれてから死ぬまで、声を発しては語り、誰かのことばに耳をかたむけて聞くという循環を、それぞれの世界の中で繰り返す。

そのとめどない循環の小さな小さな縮図として、「音楽ワークショップ」は実現されると私は考えています。

その時その時に生まれる雑多で、多様な「音」の数々に、限りなく耳と心を開いて「聞く」。

「音」に身分を与えるためではなく、意味を与えるために「聞く」。

「音」を聞いて受け止めて、そこから何か新しいものをつくりだす。

…ここでいうところの「音」が、もしも「人」に置き換えられるとしたら、社会における「多様性」というのが、理想でも幻でもない、確かな現実として実現できるのではないか、と感じられはしないでしょうか。

「聞く」という行為は対話への入り口。

とても音楽的で、人間的。

声きけば ひと時 我は消え 耳は澄む

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