2文字の万華鏡 |改元 漢字 令和
いよいよ元号が変わります。
現実で何がリセットされるということではないけれども、時代の境目、区切りが設けられることによって、「いま」のが「過去」に羽化していくのを目の前にしているようにも感じます。
「いま」を「過去」へと意識的に送り出すことによって、「いま」が自分の身体から切り離されていく。
そのことに気づいてまじまじと見つめてしまう、というか。
さて、新しい元号の「令和」。
ふと興味が湧いてしらべてみると、元号そのものが使われ始めたのはかの有名な大化の改新(645年)から。
奈良時代の一部の例外を除いて今回の「令和」を含む248もの元号の、ほとんどがなぜか漢字2文字なのでした。
※元号の数は5つ、いずれも4文字で。(Wikipedia先生情報)
その時代ごとに、いろんな人間が頭をひねり、知恵をしぼり、肩入れテコ入れ思い入れ、種々様々に入れ込んで(?)形作り、この世に送り出してきただろう元号。
その2文字の移り変わりをずらりと並べ、改めて俯瞰してみるとき、一つ一つが小さくとも特異なニュアンスを持つように感じられるのです。
万華鏡をくり返しくり返し覗き込んで、その色の移り変わりや形が鮮やかに変容していくのを見ているかのように。
漢字とその組み合わせ、読み、響き。
戦争があった時、なかった時。
歴史の教科書にのったもの、のらなかったもの。
それら一つ一つがたどった道のり、担った歴史、そこに生きていた無数の先人たちの存在の残り香がほんの少しうつっているように思えます。
西暦の方が正直分かりやすくて好きですが、意味ありげな元号も結局は好きです。