見立てがひらく@遊びの一隅
空耳空目に言い間違い、それらを楽しめるようになった大きなきっかけは田中達也氏の作品を至る所で見るようになった事でした。

氏の瞳を通してみると、「見立て」と言う比喩が、日常の見慣れたものの中に隠れていると言うこと、それがミニチュアの生態として発見され続けている。
それが心地よい衝撃で、彼の作品集のページには夢中になりました。
「見立て」が一変させる世界の一隅。
ミニマムな世界の中で起きている事象。
それらをつかまえる瞳とアンテナが強まった時、私たちは世界のどこででも遊ぶことができて、一見意味がないように思えるものにさえ楽しむ術を得られるのではないかと思えるのです。